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LIFE | yuki ota

09/12/2016
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熊本の文芸誌『アルテリ』-文学は、屈しない

”文学は、屈しない。ジタバタする。”

アルテリ二号発売のご案内 8月31日発売

アルテリ二号発売を謳う、橙書店の投稿は、こんな書き出しで始まる。

 

熊本発の文芸誌として、今年の2月に創刊号が発売された『アルテリ』。

熊本にゆかりのある人の手で作られたこの新しい文芸誌を作っているのが橙書店という熊本の本屋さんだ。

いい本屋さんだからこそ、いい人たちが集まっている。だから、いい文芸誌ができる。

 

創刊号で、書店の店主・田尻久子さんは、「弱者の本ばかり置いているね」と友人に言われたことについて書いている。

”彼らの言葉はひそやかにみえて、その実、力強く、ある時は美しく、そして誇り高い。だから、彼らの声に惹きつけられる。この声を裏切りたくないので、並べて売る。”

そうした決意にも似た言葉で、創刊号を結んでいる。

 

その後、熊本で大地震が起きた。

『アルテリ』を読んですぐのことだったので、特にだれか知り合いがいるわけでもなかったけれど、気にかかって仕方がなかった。

坂口恭平さんのtwitterをとにかく追った。

瞬時に、迂回路的な解決策にたどり着いて、それを決断してしまう行動力に驚いた。

被害の大小に関わらず、「被災」は大きな影響をそれぞれに与えたにちがいない。

無事で何よりだと思った。そして、次に出される号のことが、また気にかかっていた。

 

第2号の『アルテリ』はさらに、強みを増していた。

大切な言葉がたくさんあった。

ここにしかない物語があった。

冒頭の言葉に見られる「文学は、屈しない」という意志がにじみ出ていた。

 

どの著者も、どこか決意じみた言葉を散りばめていた。だから、とても強い。

新井敏紀さんは、星野道夫の世界に触れ、改めて自分の原点を教えてくれている。

平松洋子さんは、野生の力強さを、ソローになぞらえて語っている。

小野由起子さんは、その美しい文体でやさしい風景と路傍の画家を紹介する。

虚無、色即是空、死、別れ、どこか達観したテーマが他にも散見される。

そして、田尻久子さんは、ある老人の戦争の語りから、やはり弱者の想像力を教えてくれている。

“経験しないと分からないことがあっても、経験しない方がいいことがある。例えば、原発事故。例えば、公害病。謂れのない差別を受けること。そして、戦争。どれも人災だ。経験しないために、話を聞き、本を読む。想像する。そして、声をあげる。人間が愚かで弱いことを忘れないために。”

 

これ以上ない、文学の抵抗の表現だと思う。

「言論も、活動もない生は、世界にとっては、文字通り死である。」と言ったのは、ハンナ・アレントだ。

 

力強い言葉がたくさんあることに、とても励まされた気分になった。

 

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09/01/2016
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どこか遠くで

最近読んでいる3冊。お前もどこか遠くに旅立ちたいのか、と自分で突っ込みたくなる選書ですが。

 

08/24/2016
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世代の感覚・モザイクタイルミュージアム多治見

帰省した際に、父母に連れていってもらった、多治見にある新しい美術館。

モザイクタイルミュージアム

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タイルの発祥の地、とのことで多治見に新しく作られたミュージアム、外観からとても面白い形をしている。

設計は、藤森照信氏。この日、ちょうどこの後に、ジブリの立体建造物展に行くのだけれど、ちょうどその展示の監修もされている。

言われてみると、どこかジブリを思わせる不思議な世界観が感じられる。

 

まさに、サツキとメイの暮らす赤い屋根の家のような、昔ながらの家の水回りにこそ、ここで展示されているタイルが使われている。

親世代の感覚では、なぜこんなものを飾っているのか、展示しているのか、というものかもしれない。

古臭く、子どものころに当たり前のようにあったかまどやトイレ、風呂場が展示されている。

よく滑るんだよな、目地が汚れるんだよな、といったように、あまりいい思い出は少ないかもしれない。

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これらのものが、新しいダイニングキッチンやステンレス、あるいはユニットバスなどに取って代られた後に暮らしてきた若い世代からすれば、とても新鮮でしかし懐かしさを感じさせる。

そこにある懐かしさ、は自分が体感したものではなく、ジブリ映画や古いお話、親世代の古い写真などから、得た記憶や情報から成り立っているものだ。

ただ、その懐かしさも、改めて現代の感覚でデザインすると、新しく感じられる。

 

この展示は、採光の良い建物の最上階部分に展示されている。

光に照らされることの少ない、陰影の多かった日本家屋の奥隅で暗く鈍く佇んでいたそれらは、白い壁と強い採光のなかで、とても美しく飾られている。

水回りのジメジメした場所に置かれることの多いタイルのイメージはそこには無い。

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古いものは光に照らされてこなかった。文字通り光を当てると、新たな価値をもったものとして生まれ変わっている。

そのことがとても面白い。

 

タイルは日本だけのものではない。海外に目を向けると様々な模様のタイルが作られ、飾られ、今も使われている。

日本の最近のリノベーション建築にも多くタイルが使われ始めていて、その価値はいま見直されている、というのは言うまでもない。

だからこそ、このミュージアムが価値あるものとして作られ、各地の各家庭で朽ちて捨てられるだけのものが救われ、守られている。

 

さまざまな形の色とりどりのタイルは、いま「かわいい」ものとして受け入れられている。

この「かわいい」の感覚はとても大事なもので、技術的なことや情報が不足している中でもその良さを本能的に理解することができる。

だから「かわいい」と思わせたら、勝ちだ。不思議と心を捉えるもの、として目に映る。

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こうしたミュージアムが単独して作られ、伝統や町おこしといった古臭いキーワードを感じさせない形でうまく実現していることはとても喜ばしいし、ぜひこのままうまく続けてほしい。

私たちは次の世代のために、何を取り除き、何を残していこうか。

08/18/2016
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子どもと私

子どもを育てていると、子どものころの記憶が自然と浮かんでくることがある。

たいていは、弱くて、情けない、醜い自分の姿がそこにあって、とても恥ずかしい気持ちになる。

 

保育園のとき、隣のクラスの女の先生が怖くて、廊下でばったり会っただけで泣いてしまっていた。

保育園のプールが大嫌いだった。

消毒槽の冷たさも、シャワーの冷たさも嫌だったし、水が顔にかかるのも嫌で、プールのへりに皆で座ってバタ足を練習するとき、顔を背けていた。

自分で気づかないうちに、保育園のおもちゃがカバンに入っていて、家に持って帰ってしまったらしく、とても怒られた。今でも、誰かに入れられたんじゃないか、と思っている。

同じように、小学1年生のとき、自分で気づかないうちに、友達の腕を折ってしまったらしい。それも、そいつが勝手に転んだだけなんじゃないか、と思っている。

放課後、高学年の誰かが倒れて、救急車を呼んだらしい、と聞いて友達数人と残っていた。いざ、その場になって野次馬をしていたら、次の日クラスで名指しで怒られた。

 

苦手な食べ物が多かった。保育園で出てきたオカラやくわいが食べられなくて泣いていた。

小学校でもナスが食べられず、昼休み中、遊ぶこともできず、泣きながら食べていた。

ソフト麺が苦手で、いつも残していた。

 

視力が悪くなったことを、親にいうのがとても怖かった。ゲームばかりしていて、目が悪くなったと思われるのは当然だった。

案の定、とても怒られて、メガネを買いに行ったが、今度はメガネを学校でかけるのがとても嫌だった。

親のセンスで選んだダサいメガネだったけど、とても高額なものだったから、そんなことはとても言えなかったし、皆の前で普段と違う格好をする、こと自体に恥ずかしさを感じていた。

見かねた親が、先生にそのことを告げ、ある朝礼の時に、メガネをかけて皆の前に立たされた。別におかしくないでしょう!と先生に言われながら、とても悔しくなって泣いていた。

 

漢字や計算の練習帳をもらってすぐにどこかに隠して無くしてしまっていた。

おかげで、人より半年以上遅れて掛け算・割り算を覚えた記憶がある。

ろくに学びもしていなかったのに、友達とプリントを交換して丸つけをしていたときに、でたらめな答えに「バーカ」と書いて、先生にあとでひどく怒られた。

勉強もできなかったし、スポーツはもっとできなかった。

スイミングを習っている兄と姉に、とても怖いコーチがいて、足のつかないプールに放り出される、と脅されて真に受けて、絶対やらないと言い張った。

泳ぎは今でも苦手だし、そのほかのスポーツもいろんな理由で避けてきた。

マラソンだけは唯一好きだった。苦しいのは自分だけで、自分が苦しめば苦しむほど、周りの人より速くゴールできたから。

 

日常生活のあれこれも、全然できていない子だった。

笑いすぎると尿を漏らし、必死で乾かしたりしてごまかしていた。鼻水をよく垂らしていて、袖や服で拭いていて汚らしかった。

顔を洗うのもおっくうだし、歯磨きもしなかった。虫歯になっても、歯医者には行きたくなかった。

注射も大嫌いでなんとかその場を逃れようと無理やり熱を高くしていた。

 

 

もっともっと情けないエピソードが、小学校以前の記憶だけでもまだいっぱいある。ここには書ききれない。

それらのエピソードにまつわる性格をそのまま引きずって大人になってしまった自分がいる。

とても弱くて情けなくて周りの人に嫌われたくなくて、怒られたくなくて、それでいい子にしようとしているだけで、倫理観や責任に欠けた自分がいる。

 

大人になって、そういう弱さを見せない、克服する、補う、正す、そういう作業を少しずつ重ねていっていたはずなのに、根っこの部分で、「どうしようもない自分」を諦めている気がする。

人間にはそういう弱さがある。正論ばかりでは心が折れる。感情的な思考を大切にしたい。

こうした自分の考えの中に、自分を甘やかしたくてしょうがない気持ちが多分に含まれている。

散々甘やかされてきた自分は、大人になった今でも甘やかされていて、しかし今子どもと向き合っている。

子どもが妻や私に怒られて泣いている姿を見ると、過去の自分の姿を思い返してしまう。

そのことが耐えがたく、子どもに対して怒ることを避けているし、怒られる場面でも逃げてしまっている。

今も、自分の弱いところは全く変わっていない。

 

 

子どもの素直さが好きだ。

食べたくないものが食卓にあると、眠くなるふりをしたり、おなか痛いと言ったりする。

片づけをする、と宣言した数秒後に見つけたおもちゃが楽しくなって遊んでいる。

そうした素直さがとてもかわいらしい。

 

今、向き合っている自分の子どもは、自分に比べて信じられないくらい清々しく成長している。

どうか、自分のようにならないで生きてほしい、と切に願っている。

 

船内

08/08/2016
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瀬戸内国際芸術祭と地域アート

一年近く更新が空いてしまいました。

このサイトもいろいろ見直さなければいけないと思っています。

 

 

さて、瀬戸内国際芸術祭が行われている小豆島と豊島に行ってきました。

島の距離的にも日常から感じを楽しみたくて、というのもあって、夏の旅行先に島を選びました。

 

船内

 

島は、芸術祭の会期中ということもあって、ふつうより人が賑わっていたのだと思います。

ボランティアの案内をしてくれる地元の人もとても親切にしてくれました。

 

芸術祭の作品は、島のいたるところに点在しています。

小豆島は広さもあって車をフェリーに積んで周りましたが、それでも相当な距離を歩くことになるため、夏会期中は熱中症に注意です。

子どもと一緒に行ったのですが、子どもも頑張って歩いてくれました。

また、子どもと一緒に島の景色を眺め、歩き、夏の暑い島の気配を感じることができたのが、一つの旅の収穫でもあります。

浜辺の作品

 

芸術祭の作品の一つ一つはどれも、面白くユーモラスな視点で社会を風刺したり、実験的に独自の世界観を示したりと、いわゆる「現代アート」と呼ばれる類のものを中心に配置されています。

昨年、大地の芸術祭を経験して、「芸術」がなんなのか、と考えていましたが、やはりいろいろと思うことはあれど、答えは出ずに、こうした作品鑑賞においては、「考えるな、感じろ」が一番だと思っています。

 

ただ、「地域のなかに置かれたアートの意味とは」「地域アートは地域のためなのか」「地域アートはアートたりうるのか」という視点で物事を考察することは非常に重要だと思っています。

地域アートが地域の負担になっていないか、乱立する地域アートのなかで若手アーティストが搾取されていないか、地域アートが現代アートの価値自体を棄損していないか、など地域アートをめぐる問題はさまざまな形でこれまでも議論され、また指摘されてきました。

 

芸術一般、あるいはそれらを鑑賞し所有することは、もともと上流階級の特権の一つでした。

それが一般に開放されるようになり、いまや芸術は美術館という箱を出てこうした地域の芸術祭をはじめとする屋外展示にもなっています。

当然、それらは私たちの日常に影響を与えます。

私たちの日常に芸術が変化を与えると同時に、芸術自体もその性質を変えていきます。

芸術一般にはどこか社会や常識、一般的なものの見方とは「相反するもの」が含まれています。

それは、芸術家の独自のセンスでもあり、観察眼でもあり、技術・才能が発揮されることによる結果の一つでもあり、芸術が社会に対して一定の疑問を投げかけることでその存在意義を保ってきた、ということもあるかもしれません。

芸術には、現代社会を批判し、風刺し、皮肉に描く力があり、それがある意味許される世界でもあります。芸術で描かれ、あるいは構成される世界は、あくまで虚構だからです。

芸術祭で多くの作品がそれに類するであろう「現代アート」はまさにその社会風刺の先鋒ともいえる存在でした。

なかには、過激なものも多く、世の中から強く非難される作品もあったことと思います。

豊島美術館

それが、いまこうして、「地域の芸術祭」という一つの大きなまとまりとなって、現代社会の枠組みのなかで居場所を確保していることが、少し不思議なのです。

芸術祭が地域に馴染んでいるという評価を下していいのかどうかは、まだ分かりませんが、少なくとも越後有妻・瀬戸内の二つの芸術祭は10年近く続けられ、地元の人も手馴れている・飼い慣らしているという印象がありました。

地域に飼い慣らされた芸術は、観光資源として地域に恩恵をもたらします。島に賑わいと金銭的価値をもたらす有益な存在として、多くの人が認識しうるものになり、島民も迎合します。

こうして完成された「地域アート」は、社会的な意味においては成功した「地域アート」になるかと思います。だからこそ、他の多くの自治体がウチもぜひやろう、となるわけで。

一方で、芸術としての消費のされ方としては、本当に正しいのか、やはり疑問は残ります。

 

私は、瀬戸内国際芸術祭を見に行ってきたと話すことはあっても、○●さんの「~~」という展示を見てきた、とは言わないでしょう。(分かる人には言いますが)

一人ひとりのアーティストが作品に込めた思いがとても薄くなっているようにも感じます。

自然という大きなキャンパスのなかで、発表の場がたくさんある、ということ自体はとても素晴らしいのですが、一つ一つの作品の与えるメッセージを全て受け止めることはできずにいます。

「現代アート」が本来持つべき社会に対する疑問の投げかけ、あるいは強烈な批判、といったものの効果は、果たして届いているのでしょうか。

 

芸術の側から見たときに、「地域アートが地域に受け入れられること」は喜ばしいことなのかどうか、芸術を専門とせず絵も描けない自分には判断もつきませんが、鑑賞者として改めてこの芸術祭のあり方に疑問を投げかけたいと思います。

 

地域や鑑賞者、そして社会の側から見たときには、「地域に受け入れられること」は歓迎すべきことです。

地域に新たな価値をもたらし、あるいはそれまで持っていた地域の価値を再び輝かせてくれ、地域の人々の再発見・再認知とともに新たに人と人とをつなげている。

「アート」には、こんな喜びをもたらしてくれる力があるのだ、と。

そして、少しでもアートに興味を持ってくれた人がまた別の芸術を鑑賞することで、アートや芸術を延命させていく。

そんな好循環は、夢のように描けることと思います。

それが、「現代アート」の望んでいる姿なのか、鑑賞者としてこの問いを投げかけたい。

 

地域アートの話が主になりましたが、小豆島も豊島も本当にいいところでした。

海のきれいさに驚き、想像以上の島の山深さに驚き、日常から意識を離れて、純粋に旅を楽しむには絶好の場所でした。

 

豊島では、民泊を体験しました。島のおばあちゃんの家に泊まらせてもらい、野菜の収穫などをさせてもらいました。

田舎育ちの自分たちにとっては、実家に帰れば同じことはできるのですが、また違う地方での違う暮らしのなかで見るそれらはとても目新しいものです。

たとえ観光地を訪れたとしても、そうした日常の暮らしを見る機会のほうが圧倒的に少ないのです。

 

「こんなもん、たいしたもんじゃねぇで」と島の人が言うそれらがアートになり得るものであったり、他のだれかにとって変化をもたらす価値あるものだったりする、

たとえそんなものが見つからなくても、そうした可能性を探す作業そのものが、私はとても好きです。

(※民泊でのところてん作り。このハコは、大工のお父さんの手作りだそうだ)