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LIFE | yuki ota

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06/22/2015
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週に一度、病院に行く。

週に一度、心療内科でのカウンセリングを受けている。

うつ病の治療の場合でも、風邪でも同じかもしれないが、同じ症状でもそれに対する療法は医師によってかなり異なる。

同じ風邪の症状でも、とりあえず薬を多く出しておく医師もいれば、点滴で栄養補給をさせてさっさと回復させる医師もいれば、ほとんど何もしない医師もいる。

 

個人的にはどれがいいかということもなく、好みの問題だと思うので、合う合わない、という問題は内科においてもあると思う。

 

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こうした前置きが必要なのは、よく、うつ病で、合う先生が見つかるまで何軒も心療内科を転々とする、みたいなことが起きるからだ。

「うつ病」は、その個人によって本当にさまざまなとらえ方があり、個人の考え方や人生観、あるいは「うつ」に対する偏見などから、自分の訴える症状に対して本当に適切な対処をされているのかどうか、まったく分からない、ということがある。

そのため、薬をすぐに出してくれる先生、すぐに休みなさいという先生、薬は使わずに認知療法だけで対処する先生、様々な先生がやはりいて、そうした治療法での「合う、合わない問題」以上に、そのほかの病気に比べ、「この医師は信頼できる」とか「自分のことを分かってくれる」という患者と治療者のコミュニケーションにおける信頼関係が本当に重要になる。

少なくとも、信頼できる医師でなければ、自分が「うつ病」の症状が出た経緯を話すこともできないし、経過も適切に伝えることができない。

 

ただ、どの心療内科の医師も、適切な知識とカウンリング技術は正しく持っていると思うので、あとはやっぱり好みの問題なのかもしれない、と思う。

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本当に体も心も辛いときは、週に一度の通院が本当に酷な作業だった。医師に話すことも、また仕事で失敗してしまった、副作用で眠い、なのに薬が少ないせいか眠れない、うまく訴えることもできないし、薬の服薬ですら、よく間違えてしまうことも多く、こんなこともできないのか、という落ちた気持ちで誰かと話をしなければならない、そんな辛さがあった。

 

会社の産業医とは別に個人で通院していたので、産業医との見解の違いもあった。通院先の医師は、特に休め、ということも継続して働き続けろ、ということも言わなかった。

最終的に、産業医が判断し上司に掛け合ってくれて、そのまま休職することがきまったが、それについても通院先の医師からは特段の指示はなく、診断書はこちらから頼めばすぐに書いてくれた。

 

カウンセリングでは、主に何をして過ごしていたか、気分はどうか、体の症状はどうか、といったことの話から始まり、家族のこと、仕事のこと、これからどうするか、などといったことも含め、そのときどきの調子によって、薬の分量を変えたり、薬自体を変えたりをして、治療が続いた。

 

ちなみに薬の分量は、現在ジェイゾロフト100mg、レメロン(リフレックス)15gを一日1回、セニラン(レキソタン)を一日2回、という組み合わせでしばらく安定している。

以前はこれに加え、睡眠導入剤も飲んでいたけれど、最近はそれ無しでも眠れるようになった(レメロンの導入効果が強いのもある)。

 

気分的にはとても安定しているけれど、たぶん相当量の薬を服薬しているほうだと思う。毎日、大量の薬を飲むたびに、自分はまだまだ病気なんだ、と感じる。

 

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薬の量や種類の増減はほとんどないので、いまはカウンセリングの治療がメインになりつつある。ほとんど人生相談みたいになってきている。

転職先はこんなとこです、やっぱり主夫になります、いまやりたいこと探ししてます、とりあえずゆっくりしています、どうしましょうか??等々。

 

いまは、ほとんど不安に駆られることも少なくなってきた。でも少ないだけで、やっぱり何か失敗すると極端な思考になりやすいし、基本的には自己否定から全てが始まる。そもそも、相当量の薬を飲んでるし。

 

正直、今後どう病状が改善するのか、薬量は減っていくのか、などよく分からなくて不安なこともある。

でも、「うつ病」は僕にとっては、短期的に治るものではなく、長期的に付き合っていかなければならない慢性的な病気なようで、病気と付き合うととともに、まだしばらく医師との付き合いも続けないといけないみたいだ。

 

週に一度、病院に行く。

今のところ、僕の生活のなかで絶対的に課せられている義務はこれだけで、病人としての僕はこれに従っている。

それは決してそんなに悪いことじゃない、って気がしている。

 

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06/18/2015
by lazy_planet
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「主夫」になった僕は

まず、ここから始めなきゃいけない、と思っていたのに、ずっと書けずにいたことです。

去年の4月にうつ病と診断されて、もう一年以上が過ぎました。

依然として、ときどき苦しい思いをしている自分に、すごく嫌になることもあります。

でも、ようやく少しずつ今の自分を見つめることができて、またほかの人にもその弱さを伝えられるようになってきたと思っています。

自分から進んでいかないと改善しないんだな、と思っていろいろな人に話を聞いてもらったり、集まりに参加するようにもなりました。

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一度、立ち返って鬱になってしまった今までのことを書き起こします。

これまで、普通にサラリーマンとして7年くらい働いてきました。大企業は合わないだろうと思って、ベンチャーに就職して(途中転職して)忙しいけど、仕事はだんだん面白くなっていました。

結婚して、子どもが生まれてからも、家事も仕事もおろそかにしないつもりでした。フルタイムの共働き夫婦だったので、家事もうまく分担しないと、妻に過剰に負担がかかります。なるべく早く帰って、子どもを風呂に入れ、洗濯、洗いものをして眠り、朝は保育園に送りに行く、という生活を心がけ、実践していました。

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それが、徐々に回らなくなりました。仕事で頻繁にミスを繰り返すようになり、残業時間が長くなりました。家事や育児は好きだったし楽しいけど、もちろん負担にもなりました。子どもにもっといろんな経験をさせたいし、優秀な妻のキャリアももっと伸ばしてあげたい。いつのまにか、家でも会社でも張りつめた毎日を過ごしているうちに、心が蝕まれていたようです。

体力的にもつらかったのは事実です。残業時間が最も膨らんだ昨年の4月に、耐えられなくなって心療内科に行きました。

はじめは、薬さえもらえればなんとかなる、と思っていました。うつ病は、「病気」なんだから、薬と治療で治るものだ、と。

でも、薬の影響での眠気、慢性的な疲労感、頭痛・肩こり、吐き気など、状況は一向に良くなりませんでした。

会社にはなかなか言いづらく、ようやく伝えたのが6月ごろ。そして、8月末に休職しました。

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休職中は、リハビリといいつつ、家事も育児も行っていました。薬の副作用も強く、どうしようもない眠気に襲われて、一日寝ていることもありましたが、昼間の家事だけなら、そこまで負担には感じませんでした。夕方以降は、妻にかなり負担をかけていて、お任せすることも多かったです。

次第に体調は良くなり、薬による眠気以外は日常生活に支障のない程度にはなりました。人に会うとふつうに元気に話せるし、外に出かけることもできます。

一方で、精神的な不調は自分でもよく分からず、コントロールしづらいままでした。休養中、病気に関する知識や療法なども本で読んで、頭では理解しています。

それでも、身体的な反応がどうしても過敏に出てしまい、何かストレスにさらされると、過剰な自己嫌悪や不安感に襲われ、気分が悪くなり鬱の波に沈んでしまいます。

結局、休職期間満了で、会社を退職しました。

 

それでも転職しようと試み、この春から新しい職場に通い始めました。

本当なら、いまもその会社で働いている予定でした。でも全然病気は治っていなかったようです。

その会社の「型」に嵌らなければ徹底的に直されるという環境下で、ひどくストレスに過敏に反応してしまい、ここでもミスの繰り返し。わずか2週間で、這うように会社に行き、家に帰って倒れこむ毎日。結局、会社には行けなくなり、また病気と向き合う時間が訪れました。

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もう一度、病気と向き合うなかで、本当に自分が守らなければならないもの、大切にしなければならないものは何か、と考えました。

 

本当に、大切にしたかったのは、家族で笑って過ごせて穏やかに暮らせる「普通」の日常です。

でも、それが共働き夫婦でやっていけているという自負や仕事も育児もできる自分みたいなものに対する見栄と重ねてしまい、見えなくなってしまっていたようです。

 

今も、心療内科に通い続けています。ただ、以前に比べ気持ちははるかに楽になっています。

「仕事」を諦めたからです。そして、自分のことを「主夫」と呼ぶようにしました。

「主夫」になった僕は情けない男性でしょうか。同世代で同じ大学を出た同輩の中には、既に年収1000万円を稼ぐ人もいます。家事も仕事も両立している友人も多くいます。でも、それができないからといって、その人の能力や価値が低いことになるのでしょうか、

「仕事」を諦めることができたのは、妻のおかげです。妻が働いてくれるからであり、妻が病気の私を支えてくれるから、です。ただ同時に、自分も何もしていないわけではない、一人の子どもを育て、妻の仕事を支え、家や地域のためにできることをしているのだと気づきました。

どこかで「主夫」や「主婦」を馬鹿にしていたのかもしれません。稼ぐ能力の高低や肩書や所属だけで、その人の価値を見定めてたのかもしれません。そんなつもりは全くなく、共働きの自分たちなりのロールモデルを作っているつもりでいたのに、それもまた新しいキャリアという競争社会のなかに取り込まれていたようです。

実際、「主夫」と名乗っていいのかどうか、怪しいくらい妻には助けられています。妻は仕事をしながら、子どもを育て、時々つまづく僕を支えてくれています。

僕は仕事ができる人を尊敬しています。家事ができる・育児ができる人も尊敬しています。でも、それを自分ができないからといって、嘆くこともないんだと思っています。そんなに自分はすごい人間じゃない。

でも、自分にもできることがあるなら、「主夫」としてしばらく生きていたいと思う。

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僕は病気のために仕事を辞めた、30歳無職の男性です。でも、自信をもって「主夫」を名乗りたいと思っています。そうすることで、「何でもない自分」が何か変わる気がしました。

そして、不思議なことに職業は「主夫」です、と名乗り始めてから、面白い出会いが多く生まれています。

もし、同じように悩んでいる男性がいたら、仕事のことは一度()の中に入れてしまいましょう。

僕は自身を守るために「主夫」をしています。僕がまた笑って暮らせるようになったことで、家庭を守ることができています。そして、私が主夫をしていられるのは、今も頑張って働いている妻のおかげです。

しばらくは、こうしてゆっくりと生活を整えたいと思います。

そして、また何かのきっかけや機会があったときに、お互いの役割を見直したり、また仕事をしたり、仕様と思います。

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05/26/2015
by lazy_planet
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『フルサトをつくる』ちょっとやってみませんか

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「フルサトをつくる」は単なる田舎への移住のススメや自然主義的な地方礼賛本でもない。

 

都会のほうが面白いことが多いし、イベントごともいっぱいあるし、人も多くて賑やかだ。

でも、地方は静かで、自然豊かで、家も土地もたくさんあって、畑をやったり、空き家再生したりと、することも意外と多いし、生活コストも低い。

ここで、都会と地方、どっちがいいか、みたいな話になるけれど、どちらか一方しか選べない、なんてわけでもない。

たまに遊びに行くことができて、いざとなったら、安心して帰ることのできるコミュニティがある場所、それが「フルサト」だ。

 

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完全に田舎に移住しなくても、都会に身を置きつつたまに田舎の良さを味わう、といったように生活の拠点をいくつか持つ。
インターネットや交通網の発達、そして働き方の多様化によって、そうした生き方も十分可能になった。

田舎に実家がある人もいるかもしれないが、それとは少し異なる。
そうした血縁・地縁ほどつながりは強くないけれど、適度に気の合う仲間が集まる田舎のコミュニティ、といったイメージだ。

そんなもの本当にできるの?と思うかもしれない。
本書では、どうやってフルサトをつくるか、ということについて、実際にフルサトをつくって、一つの拠点としている伊藤氏と、それに乗っかったPha氏の二人で、自身のその実践事例を紹介している。

住む場所の見つけ方、コミュニティ・イベントの作り方、仕事の作り方(見つけ方ではない)、など。

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本書の全体を通して感じる雰囲気は「無理しない」「頑張りすぎない」という力の抜き加減だ。

ずっとその場所で暮らすとも限らない、失敗してもほかの土地はいっぱいある、一人でやらない、楽しいことを見つけながらやる、
リスクはとらない、など「移住」という言葉の重さやハードルをできる限り下げてくれている。

それでも、普通に生活をしていたら、遠くにある田舎、それも自分の実家とは異なる田舎への思いを実行に移すのは難しい。
毎日毎日の仕事があり、家事があるからだ。

伊藤氏もPha氏も、フリーランスで働いている。それぞれやってることは全く異なるが、どこで働いても働ける自由さを持っている、という意味では同じで、だからこそこうした提案ができる。
そうした働き方は、いまとても特殊なものに見えるけれど、「仕事」に関して、多くの人は固定的にとらわれすぎているのかもしれない。

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今やっている仕事は、そもそも、オフィスがあって、そこに毎日集まっていなければ、できない仕事なのか。
データは全てクラウド上で共有、チャットや電話・メールはLINEでもできるし、皆がパソコンやスマホを持っていれば、そして「ひとつの目的をもった集団」を形成していれば、
具体的な形で固定的な組織を作らなくても、いつでもどこでも誰もが参画できる「会社組織」は作れないだろうか。

こうした概念のほうが、ずっと新しく、面白い。

本書は、ここまで、ビジネスライクなことは書かれていない。伊藤氏は身の回りのことの延長線上で小さな仕事を複数身に着ける「ナリワイ」をオススメしているし、Pha氏に至っては、「働きたくない」である。でも、たぶんみんなが躊躇する理由はここにあるように思う。

Pha氏の「だるい」「めんどうくさい」という感覚は、一見否定的で怠惰な印象だけど、とても大切なことで、そういった気持ちを大事にしないと、どこかでストレスを感じてしまっていて、楽しいはずのことが楽しめなくなる。
彼の生き方すべてを肯定するわけでもないし、頑張っている人や、向上心の高い人を否定するわけでもないけれど、生きていることに疲れている人が大勢いるなかで、だるいなぁと思いながら、「面白い」と思うようなことを実践している彼の生活感覚はとても好きだ。
たぶん、同じ大学の卒業生なせいもある。あの大学は結構の割合で人をダメにする。そして、ダメな人のほうが面白く、価値が高いという文化が一部にあったりする。(話が逸れた・・)

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「フルサト」というカタカナの故郷は、新しい故郷の考え方だ。

「ちょっとやってみませんか」という軽い誘いで本書は締めくくられる。

軽い気持ちでも、意外とやれる、ということを示してくれる多拠点居住・プチ移住の本というのも面白い。
そして、そんなフルサトでの暮らしやそこに集う人たちも、またきっと面白いだろう。

フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

カエルや鳥の鳴き声の響く風景

05/18/2015
by lazy_planet
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【篠山視察】古民家再生プロジェクトと集落丸山

兵庫県の篠山市(ささやまし)に「集落丸山」という、一棟貸しの古民家宿泊施設があります。

前々から気になっていたのですが、なかなか機会もなく、一棟貸しということもあって宿泊料もなかなかのお値段なので、行けずにいました。

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「集落丸山」

そのとき、たまたま一般社団法人ノオトという団体のホームページで、篠山の古民家再生について、そして集落丸山の取り組みについて書かれていることを知りました。

篠山市は篠山城を中心に市街地があり、秋などのシーズンには名物の黒豆やジビエ料理などの観光資源も多く、観光の町として知られています。

また古くからの街並みが多く残されている地域でもあり、伝統的建造物群保存地区(伝建と略されることが多いです)にも指定されており、今も昔の町屋や茅葺屋根の古民家が保存されています。

一方で、観光に来る方は、そういった建物が残されている街並みのほうに足を運ばずに、土産物が多くある通りを中心に回ったりという現状もあるようです。

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篠山の街並み

以前、「ササヤマルシェ」というイベントに参加するため、篠山に遊びに行ったことがあります。
そのとき、会場だった河原町が本当に昔から守られてきた街並みで、賑やかな人手とともに、地元の食材や手仕事のものを買うことができて、とても面白かった印象が強く残っていました。

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ササヤマルシェ

もちろん、そうした街並みは、もともとあるものを、ただそのままにしていたわけではなく、そこに住む人たちやそれを守ろうとする人たちのもとで、維持・管理されて初めて成り立つものです。
古民家の維持にはお金がかかる、地元にはもうお盆と正月しか戻らない、家に人がいないから腐っていく・・など様々な問題も抱えています。

そうした空き家対策をはじめとした問題解決や雇用創出、ツーリズム、そして古民家を保存し活用することで町を活性化させるという趣旨のもと、一般社団法人ノオトは設立されているようです。
そして、そこから分かれて設立された一般社団法人ROOTという団体もまた地域発信ツーリズム、体験プログラムを設計するという役割のもと篠山で活躍しています。

そのROOTにて、篠山の城下町に残された古民家や集落丸山をめぐる視察ツアーが開催されていたため、そこに参加することにしました。

ツアーの最小催行人員にも満たない(2人だけでした・・)にもかかわらず、ミニツアーを開いてくださり、ゆっくりと話を聞きながら、市内をまわることができました。

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一般社団法人ROOT

伝建地区に指定されると、外観の保存が優先されるため、そこに住む住民たちは家を改修したり、立て直す等のことが容易にできなくなります。
また、その維持・補修に関する補助費用は国から支給されますが、日々の保全はもちろん町の自治にゆだねられます。

そのため、伝建に後ろ向きな住民も少なくなく(申請時に住民の8割の同意が少なくとも必要)、またほかの街並み保存制度も並行して制定されている現在では、なかなか積極的に伝建指定を受けようとする地域は少ないのが現状です。

そのなかでも、篠山はかなり広い範囲で、伝建指定を受け、またそれ以外にも多くの古民家を改修し、新たな人も呼び込むきっかけにもなっています。

私は、専門が建築ではないので、古民家自体よりも、どうやってそういったコミュニティ内のコンセンサスを得て、ここまでやってこれたのか、そのあたり、とても興味をもっていました。

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篠山の街並み2

市内をゆっくり回りながら、話を聞くと、もともと街並みの保存への意識の高い住民が多いこと、まず古民家を再生しようという声が住民自身から上がったこと、一般社団法人ノオトの立ち上げに、副市長も関わり、また外から来た人(案内してくれた職員)たちも、町に溶け込めるよう行事にも積極的に参加し、一体感をもって現実的なやり取りの末に、古民家再生のノウハウが蓄積されていった経緯が分かりました。

また、町を案内しているときも、いろんな人に声をかけられ、声をかけ、日常のコミュニケーションがどれだけ密に行われているか、ということが本当によくわかり、その中心に主体となって再生プロジェクトを進める法人があることが、より強い自治組織を形成しているのだと感じました。

集落丸山の全景

集落丸山の全景

また、集落丸山は、市内からはタクシーで10分ほどの山間の集落です。
そこでは住民全員が集落丸山を経営するNPO法人の会員であり、自治会とは別の組織として、集落丸山を経営している、という話を聞きました。

丸山集落には12戸の民家があるが、取り組みが開始された時点で、このうち7戸が空き家で居住者は5世帯19人であった。

(集落丸山視察見学資料より)
というところからも、とても小さな小さな集落であることが分かります。

そこから、様々なワークショップやまちづくり学習会、会合を重ね、滞在施設の整備と体験イベントの持続を行うという方向性を定めました。

新しい住民による手作りのヒンメリ

新しい住民による手作りのヒンメリ

そのスキームは一風変わった方法を採用しています。
NPO法人集落丸山と一般社団法人ノオトが有限責任事業組合(LLP)を結成し、そのLLPに対し、集落住民や市民が寄付・出資を行う、<市民ファンド>を形成する。
所有者はLLPに無償で10年間貸与をする代わりに、その古民家の改修・活用維持にかかるコストはLLPが負担する。
一見サブリースのようで、所有者のデメリットは最小限に抑えられています。また、自治会とは別個の組織を立ち上げたことで、寄付や出資を受けやすくし、
万一事業が成立しなかった場合の住民のリスクヘッジも行われています。

また、スタート時点で積極的に補助金を獲得しているのも特徴的です。古民家改修の費用の半分(約3500万円)の補助金を得ています。

こうした工夫された事業計画のもとに、住民が協力的に古民家を貸出し、維持管理を行ってきた結果、素晴らしい里山体験の可能な宿泊施設が生まれたのだとわかりました。

そして、篠山市周辺では今は「人のつながり」から「人の広がり」へと変化し始め、まちづくりの第二ステージに来ている、とのことでした。

これから、篠山の街に点在する古民家を再生し、街全体で古民家ホテルを形成する、という面白い動きも始まっています。

はじめは、閉鎖的な部分もやはりあった、とのことでしたが、新しい人を受け入れることに慣れてきた住民たちの間で、さらにその新しい人たちの知り合いもまた新しく入ってきて、という良い流れが作られたようです。

非常に勉強になるところが多く、またこうした上手く補助金などの制度を使いながら、無理のないやり方で、地域おこしの成功をしている好例だと思いました。

何より、街並みも集落丸山の風景も、とても美しく、作りこまれていない自然の集落の過ごし方を体験できます。
そういった場所がある、そういった場所を作っている人がいる、ということを知り、地域の人が自らの手で作り上げた空間のすばらしさを体感しました。

カエルや鳥の鳴き声の響く風景

カエルや鳥の鳴き声の響く風景

ときどき、「いま住んでいる地域に何ができるだろうか」「地元の町の衰退を何もしないで見るだけでいいのだろうか」と思うことがあります。
たまたま今は自治会長をやっていたり、地域に関わることが多いけれど、そういった関心は、子どもが生まれたり、長くその土地に住むことになったり、とそのライフスタイルの変化によって深くなるときがあるのだと思います。

そういったとき、気が付けば自分のフルサトを無くしていた、自分の住む場所にはコミュニティがなかった、などと後悔しないようにしたい、と思っています。
仕事に打ち込むと、また海外に出たりすると、なかなか地元に戻ることも地域に関心を寄せることも難しくなります。

それでも、関心を寄せる意味があるとすれば、何かあったときに「安心して帰ることのできるフルサト」が必要だからだと思っています。

いま、私が住んでいる場所も本当に魅力的な人が集まったよいところです。
その良さを保ちつつ、新しい流れ、人の変化を面白く感じられるよう、できることをしていきたいと思います。

※篠山の取り組みをもっと知りたい方はROOTが発行している、こちらの書籍もとても参考になります。
丹波篠山 古民家を“めぐる”見聞帖

P.S
一緒にツアーに参加した子も同年代くらいの面白い女子で、糸島や熊野や八女などそれぞれの地域でナリワイを作っている人のところとつながりを持っているようでした。
いずれどこかでまた会いそうな気もします。

05/14/2015
by lazy_planet
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『新しい公共空間のつくりかた』頑張らない、だから壊れない空間

PUBLIC DESIGN 新しい公共空間のつくりかた

行政のみに頼らない、民間や個人が様々な方法で公共空間(パブリックな場)を問い直す、再構築を試みる。
そういった実践的な取り組みを、東京R不動産等の運営をしている馬場さんが6人の実践者に対しインタビューを行い、紹介している。

それぞれ、金融・マネジメント・教育・行政など分野に対する専門性が高く、難しい問題を結果を残すに至るまで付き進めていける強さを持っている人たちだと思った。
それぞれの事例はどれもまったく異なる業態で、異なる分野の仕事をしているにもかかわらず、パブリックな空間を再定義し、その重要性を認識したうえで形にしている。

単純に行政のやり方がダメだ、という話でもなく、民間がやると結局無責任な結果を生む、ということでもない。

持続可能なマネタイズを具体的に考え、また一貫性のある姿勢でプロジェクトを進めていくやり方や連携の仕方が提示されていて、まちづくりやコミュニティ形成、再生を考え上でのヒントがたくさん見つけられる。

地域の抱えている問題は何で何をすべきなんだろう、新しいパブリックな空間とはなんだろう。

新しい公共空間のつくりかた

新しい公共空間のつくりかた

そんな疑問に対する答えは、本書を読んでもぼんやりとしか見えてこず、ちょうどスタンダードブックストアで開催されたイベントで、馬場さんの話を直接聞ける機会があったので、参加してみた。

greenzの小野裕之さんとの対談形式で行われた、その話の中で少しずつみえてきたものがあった。

たとえば、禁止事項がたくさん羅列され、何をすればいいの?となっているような公園。
そこは、開かれているようで、完全に閉ざされた空間になってしまっている。

禁止事項だらけの公園

禁止事項だらけの公園

私的な空間は市民が、公的な空間は行政が「何かしなければならない」ようになってしまっていて、
自分が「所有」していないものに関しては、関与しない。また公共空間もまた自分自身のものである、という認識が無くなっている。
本来であれば、地域内のみんなが使う公園はみんなで管理したり、維持のために暗黙のルールみたいなもので、空間をシェアしていたのに、
それが行政の管轄なんだから、公園に問題があれば、すぐに行政にクレームを出し、そう言われれば行政も対応せざるを得ない。

そういった過程を経て、先に挙げた禁止事項だらけの公園ができてしまう。

プライベートと、パブリックの間にある境界がどんどん強くなってしまっている、というのが馬場さんの問題意識の根底にあった。

それは資本主義の発達によって、自分のものにする「所有」ということにとらわれ続けて消費をし続ける、といったことの末路でもある。

「所有」ではなく「共有」、そしてその間にあるものを問い直す、というのが「新しい公共空間」のデザインの出発点だ。

一方で、Greenzの小野さんは、メディア記事に取り上げた事例をどんどん紹介してくれた。
そのなかで、「パブリックな空間って、曖昧だから入っていくのにおびえる」という言葉があった。
誰でも利用できる空間は、誰がいるかよくわからない空間でもあり、どう振る舞えばいいのかも定義されていないので入り込みにくい、という。

これは、先に見たプライベートとパブリックの壁が厚い、というところから来るものだと思う。
その間のゆるやかな領域(縁側)のようなものを、どのように作っていくか、そして維持していくか、というのが今後のパブリックデザインの課題となる。

Greenzの事例紹介でとりわけ面白かったのが、「東京シャボン玉倶楽部」だった。

Greenzより

Greenzより

タバコは体に良くない、という認識はおそらく誰もが持っているけれど、喫煙者の方が、喫煙所で、コミュニケーションの場を形成していて、それがきっかけで生まれるアイデアや関係性、そういったものがときに大切になることもある。
でも、やっぱり非喫煙者もそういうのがしたい、喫煙者だけずるい、みたいなところはあるわけで。
そこで、「タバコの代わりにシャボン玉のあるライフスタイルを提案する」という、いたってシンプルな活動目的をもって、それを続けている団体が「東京シャボン玉倶楽部」だ。
喫煙所ならぬ「シャボンダマステーション」を各地に設置してもらい、シャボン玉スティックをもって、自由に集まれる空間を作る。
そうすることで、ゆるい関係性を持たせた場を作り上げているのだという。

とても面白い取り組みだけど、団体としては積極的に活動したり、マネタイズしたりすることはしないのだ、という。
「がんばらない、だから壊れない」という言葉で、それを表現していた。シャボン玉を壊さず飛ばすには、強く吹きすぎないのがコツなのだ。

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「がんばらない、だから壊れない」という言葉はとても響くものがあった。

小野さんの紹介した事例も、馬場さんの著書にある事例も、どれも本当に頑張って、先進的な取り組みを実践しているものだと思う。
でも個人的には、そんなにがんばらなくても、そこにいる人たちだけで長くやっていけるような、そんな空間を当事者性を持って作っていけるのがいいなぁ、と思っている。

自治会、町内会なんていうような昔からある組織もそうで、本当にいろんな人たちが「そこに住んでいる」という一点でのみつながっていて、
そのなかで、頑張って何かをやっていく、のはとても難しい。

でも、もう少しゆるく楽に考えて、これだけは守っていきましょうよ、ということだったり、お金をかけなくてもたとえばシャボン玉一つで雰囲気が変わることだったり、
かたくなにプライベートを守る人のガードを下げていくことはいろいろできるんじゃないだろうか。

専門性の高い人がやったほうがうまくいく、東京のやり方を地方に持ち帰る、といったようなやり方で、地域に新しいコミュニティを作っていくことは、
一時的には効果があるかもしれないけれど、結局「だれでもできるやり方」を仕組化しないことには、息の長い取り組みができないと思っている。

それは、既存の組織を否定することではなくて、既存の組織の土壌の上に新たな価値をつけていく作業だと思う。
地道にそうした作業を続けていくことが、所有から共有への流れをスムーズにさせていくのだと思う。