Lazy-planet

LIFE | yuki ota

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

05/26/2015
by lazy_planet
0 comments

『フルサトをつくる』ちょっとやってみませんか

9160ei7jmvL

「フルサトをつくる」は単なる田舎への移住のススメや自然主義的な地方礼賛本でもない。

 

都会のほうが面白いことが多いし、イベントごともいっぱいあるし、人も多くて賑やかだ。

でも、地方は静かで、自然豊かで、家も土地もたくさんあって、畑をやったり、空き家再生したりと、することも意外と多いし、生活コストも低い。

ここで、都会と地方、どっちがいいか、みたいな話になるけれど、どちらか一方しか選べない、なんてわけでもない。

たまに遊びに行くことができて、いざとなったら、安心して帰ることのできるコミュニティがある場所、それが「フルサト」だ。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

完全に田舎に移住しなくても、都会に身を置きつつたまに田舎の良さを味わう、といったように生活の拠点をいくつか持つ。
インターネットや交通網の発達、そして働き方の多様化によって、そうした生き方も十分可能になった。

田舎に実家がある人もいるかもしれないが、それとは少し異なる。
そうした血縁・地縁ほどつながりは強くないけれど、適度に気の合う仲間が集まる田舎のコミュニティ、といったイメージだ。

そんなもの本当にできるの?と思うかもしれない。
本書では、どうやってフルサトをつくるか、ということについて、実際にフルサトをつくって、一つの拠点としている伊藤氏と、それに乗っかったPha氏の二人で、自身のその実践事例を紹介している。

住む場所の見つけ方、コミュニティ・イベントの作り方、仕事の作り方(見つけ方ではない)、など。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

本書の全体を通して感じる雰囲気は「無理しない」「頑張りすぎない」という力の抜き加減だ。

ずっとその場所で暮らすとも限らない、失敗してもほかの土地はいっぱいある、一人でやらない、楽しいことを見つけながらやる、
リスクはとらない、など「移住」という言葉の重さやハードルをできる限り下げてくれている。

それでも、普通に生活をしていたら、遠くにある田舎、それも自分の実家とは異なる田舎への思いを実行に移すのは難しい。
毎日毎日の仕事があり、家事があるからだ。

伊藤氏もPha氏も、フリーランスで働いている。それぞれやってることは全く異なるが、どこで働いても働ける自由さを持っている、という意味では同じで、だからこそこうした提案ができる。
そうした働き方は、いまとても特殊なものに見えるけれど、「仕事」に関して、多くの人は固定的にとらわれすぎているのかもしれない。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

今やっている仕事は、そもそも、オフィスがあって、そこに毎日集まっていなければ、できない仕事なのか。
データは全てクラウド上で共有、チャットや電話・メールはLINEでもできるし、皆がパソコンやスマホを持っていれば、そして「ひとつの目的をもった集団」を形成していれば、
具体的な形で固定的な組織を作らなくても、いつでもどこでも誰もが参画できる「会社組織」は作れないだろうか。

こうした概念のほうが、ずっと新しく、面白い。

本書は、ここまで、ビジネスライクなことは書かれていない。伊藤氏は身の回りのことの延長線上で小さな仕事を複数身に着ける「ナリワイ」をオススメしているし、Pha氏に至っては、「働きたくない」である。でも、たぶんみんなが躊躇する理由はここにあるように思う。

Pha氏の「だるい」「めんどうくさい」という感覚は、一見否定的で怠惰な印象だけど、とても大切なことで、そういった気持ちを大事にしないと、どこかでストレスを感じてしまっていて、楽しいはずのことが楽しめなくなる。
彼の生き方すべてを肯定するわけでもないし、頑張っている人や、向上心の高い人を否定するわけでもないけれど、生きていることに疲れている人が大勢いるなかで、だるいなぁと思いながら、「面白い」と思うようなことを実践している彼の生活感覚はとても好きだ。
たぶん、同じ大学の卒業生なせいもある。あの大学は結構の割合で人をダメにする。そして、ダメな人のほうが面白く、価値が高いという文化が一部にあったりする。(話が逸れた・・)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

「フルサト」というカタカナの故郷は、新しい故郷の考え方だ。

「ちょっとやってみませんか」という軽い誘いで本書は締めくくられる。

軽い気持ちでも、意外とやれる、ということを示してくれる多拠点居住・プチ移住の本というのも面白い。
そして、そんなフルサトでの暮らしやそこに集う人たちも、またきっと面白いだろう。

フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

カエルや鳥の鳴き声の響く風景

05/18/2015
by lazy_planet
0 comments

【篠山視察】古民家再生プロジェクトと集落丸山

兵庫県の篠山市(ささやまし)に「集落丸山」という、一棟貸しの古民家宿泊施設があります。

前々から気になっていたのですが、なかなか機会もなく、一棟貸しということもあって宿泊料もなかなかのお値段なので、行けずにいました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「集落丸山」

そのとき、たまたま一般社団法人ノオトという団体のホームページで、篠山の古民家再生について、そして集落丸山の取り組みについて書かれていることを知りました。

篠山市は篠山城を中心に市街地があり、秋などのシーズンには名物の黒豆やジビエ料理などの観光資源も多く、観光の町として知られています。

また古くからの街並みが多く残されている地域でもあり、伝統的建造物群保存地区(伝建と略されることが多いです)にも指定されており、今も昔の町屋や茅葺屋根の古民家が保存されています。

一方で、観光に来る方は、そういった建物が残されている街並みのほうに足を運ばずに、土産物が多くある通りを中心に回ったりという現状もあるようです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

篠山の街並み

以前、「ササヤマルシェ」というイベントに参加するため、篠山に遊びに行ったことがあります。
そのとき、会場だった河原町が本当に昔から守られてきた街並みで、賑やかな人手とともに、地元の食材や手仕事のものを買うことができて、とても面白かった印象が強く残っていました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ササヤマルシェ

もちろん、そうした街並みは、もともとあるものを、ただそのままにしていたわけではなく、そこに住む人たちやそれを守ろうとする人たちのもとで、維持・管理されて初めて成り立つものです。
古民家の維持にはお金がかかる、地元にはもうお盆と正月しか戻らない、家に人がいないから腐っていく・・など様々な問題も抱えています。

そうした空き家対策をはじめとした問題解決や雇用創出、ツーリズム、そして古民家を保存し活用することで町を活性化させるという趣旨のもと、一般社団法人ノオトは設立されているようです。
そして、そこから分かれて設立された一般社団法人ROOTという団体もまた地域発信ツーリズム、体験プログラムを設計するという役割のもと篠山で活躍しています。

そのROOTにて、篠山の城下町に残された古民家や集落丸山をめぐる視察ツアーが開催されていたため、そこに参加することにしました。

ツアーの最小催行人員にも満たない(2人だけでした・・)にもかかわらず、ミニツアーを開いてくださり、ゆっくりと話を聞きながら、市内をまわることができました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

一般社団法人ROOT

伝建地区に指定されると、外観の保存が優先されるため、そこに住む住民たちは家を改修したり、立て直す等のことが容易にできなくなります。
また、その維持・補修に関する補助費用は国から支給されますが、日々の保全はもちろん町の自治にゆだねられます。

そのため、伝建に後ろ向きな住民も少なくなく(申請時に住民の8割の同意が少なくとも必要)、またほかの街並み保存制度も並行して制定されている現在では、なかなか積極的に伝建指定を受けようとする地域は少ないのが現状です。

そのなかでも、篠山はかなり広い範囲で、伝建指定を受け、またそれ以外にも多くの古民家を改修し、新たな人も呼び込むきっかけにもなっています。

私は、専門が建築ではないので、古民家自体よりも、どうやってそういったコミュニティ内のコンセンサスを得て、ここまでやってこれたのか、そのあたり、とても興味をもっていました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

篠山の街並み2

市内をゆっくり回りながら、話を聞くと、もともと街並みの保存への意識の高い住民が多いこと、まず古民家を再生しようという声が住民自身から上がったこと、一般社団法人ノオトの立ち上げに、副市長も関わり、また外から来た人(案内してくれた職員)たちも、町に溶け込めるよう行事にも積極的に参加し、一体感をもって現実的なやり取りの末に、古民家再生のノウハウが蓄積されていった経緯が分かりました。

また、町を案内しているときも、いろんな人に声をかけられ、声をかけ、日常のコミュニケーションがどれだけ密に行われているか、ということが本当によくわかり、その中心に主体となって再生プロジェクトを進める法人があることが、より強い自治組織を形成しているのだと感じました。

集落丸山の全景

集落丸山の全景

また、集落丸山は、市内からはタクシーで10分ほどの山間の集落です。
そこでは住民全員が集落丸山を経営するNPO法人の会員であり、自治会とは別の組織として、集落丸山を経営している、という話を聞きました。

丸山集落には12戸の民家があるが、取り組みが開始された時点で、このうち7戸が空き家で居住者は5世帯19人であった。

(集落丸山視察見学資料より)
というところからも、とても小さな小さな集落であることが分かります。

そこから、様々なワークショップやまちづくり学習会、会合を重ね、滞在施設の整備と体験イベントの持続を行うという方向性を定めました。

新しい住民による手作りのヒンメリ

新しい住民による手作りのヒンメリ

そのスキームは一風変わった方法を採用しています。
NPO法人集落丸山と一般社団法人ノオトが有限責任事業組合(LLP)を結成し、そのLLPに対し、集落住民や市民が寄付・出資を行う、<市民ファンド>を形成する。
所有者はLLPに無償で10年間貸与をする代わりに、その古民家の改修・活用維持にかかるコストはLLPが負担する。
一見サブリースのようで、所有者のデメリットは最小限に抑えられています。また、自治会とは別個の組織を立ち上げたことで、寄付や出資を受けやすくし、
万一事業が成立しなかった場合の住民のリスクヘッジも行われています。

また、スタート時点で積極的に補助金を獲得しているのも特徴的です。古民家改修の費用の半分(約3500万円)の補助金を得ています。

こうした工夫された事業計画のもとに、住民が協力的に古民家を貸出し、維持管理を行ってきた結果、素晴らしい里山体験の可能な宿泊施設が生まれたのだとわかりました。

そして、篠山市周辺では今は「人のつながり」から「人の広がり」へと変化し始め、まちづくりの第二ステージに来ている、とのことでした。

これから、篠山の街に点在する古民家を再生し、街全体で古民家ホテルを形成する、という面白い動きも始まっています。

はじめは、閉鎖的な部分もやはりあった、とのことでしたが、新しい人を受け入れることに慣れてきた住民たちの間で、さらにその新しい人たちの知り合いもまた新しく入ってきて、という良い流れが作られたようです。

非常に勉強になるところが多く、またこうした上手く補助金などの制度を使いながら、無理のないやり方で、地域おこしの成功をしている好例だと思いました。

何より、街並みも集落丸山の風景も、とても美しく、作りこまれていない自然の集落の過ごし方を体験できます。
そういった場所がある、そういった場所を作っている人がいる、ということを知り、地域の人が自らの手で作り上げた空間のすばらしさを体感しました。

カエルや鳥の鳴き声の響く風景

カエルや鳥の鳴き声の響く風景

ときどき、「いま住んでいる地域に何ができるだろうか」「地元の町の衰退を何もしないで見るだけでいいのだろうか」と思うことがあります。
たまたま今は自治会長をやっていたり、地域に関わることが多いけれど、そういった関心は、子どもが生まれたり、長くその土地に住むことになったり、とそのライフスタイルの変化によって深くなるときがあるのだと思います。

そういったとき、気が付けば自分のフルサトを無くしていた、自分の住む場所にはコミュニティがなかった、などと後悔しないようにしたい、と思っています。
仕事に打ち込むと、また海外に出たりすると、なかなか地元に戻ることも地域に関心を寄せることも難しくなります。

それでも、関心を寄せる意味があるとすれば、何かあったときに「安心して帰ることのできるフルサト」が必要だからだと思っています。

いま、私が住んでいる場所も本当に魅力的な人が集まったよいところです。
その良さを保ちつつ、新しい流れ、人の変化を面白く感じられるよう、できることをしていきたいと思います。

※篠山の取り組みをもっと知りたい方はROOTが発行している、こちらの書籍もとても参考になります。
丹波篠山 古民家を“めぐる”見聞帖

P.S
一緒にツアーに参加した子も同年代くらいの面白い女子で、糸島や熊野や八女などそれぞれの地域でナリワイを作っている人のところとつながりを持っているようでした。
いずれどこかでまた会いそうな気もします。

05/14/2015
by lazy_planet
0 comments

『新しい公共空間のつくりかた』頑張らない、だから壊れない空間

PUBLIC DESIGN 新しい公共空間のつくりかた

行政のみに頼らない、民間や個人が様々な方法で公共空間(パブリックな場)を問い直す、再構築を試みる。
そういった実践的な取り組みを、東京R不動産等の運営をしている馬場さんが6人の実践者に対しインタビューを行い、紹介している。

それぞれ、金融・マネジメント・教育・行政など分野に対する専門性が高く、難しい問題を結果を残すに至るまで付き進めていける強さを持っている人たちだと思った。
それぞれの事例はどれもまったく異なる業態で、異なる分野の仕事をしているにもかかわらず、パブリックな空間を再定義し、その重要性を認識したうえで形にしている。

単純に行政のやり方がダメだ、という話でもなく、民間がやると結局無責任な結果を生む、ということでもない。

持続可能なマネタイズを具体的に考え、また一貫性のある姿勢でプロジェクトを進めていくやり方や連携の仕方が提示されていて、まちづくりやコミュニティ形成、再生を考え上でのヒントがたくさん見つけられる。

地域の抱えている問題は何で何をすべきなんだろう、新しいパブリックな空間とはなんだろう。

新しい公共空間のつくりかた

新しい公共空間のつくりかた

そんな疑問に対する答えは、本書を読んでもぼんやりとしか見えてこず、ちょうどスタンダードブックストアで開催されたイベントで、馬場さんの話を直接聞ける機会があったので、参加してみた。

greenzの小野裕之さんとの対談形式で行われた、その話の中で少しずつみえてきたものがあった。

たとえば、禁止事項がたくさん羅列され、何をすればいいの?となっているような公園。
そこは、開かれているようで、完全に閉ざされた空間になってしまっている。

禁止事項だらけの公園

禁止事項だらけの公園

私的な空間は市民が、公的な空間は行政が「何かしなければならない」ようになってしまっていて、
自分が「所有」していないものに関しては、関与しない。また公共空間もまた自分自身のものである、という認識が無くなっている。
本来であれば、地域内のみんなが使う公園はみんなで管理したり、維持のために暗黙のルールみたいなもので、空間をシェアしていたのに、
それが行政の管轄なんだから、公園に問題があれば、すぐに行政にクレームを出し、そう言われれば行政も対応せざるを得ない。

そういった過程を経て、先に挙げた禁止事項だらけの公園ができてしまう。

プライベートと、パブリックの間にある境界がどんどん強くなってしまっている、というのが馬場さんの問題意識の根底にあった。

それは資本主義の発達によって、自分のものにする「所有」ということにとらわれ続けて消費をし続ける、といったことの末路でもある。

「所有」ではなく「共有」、そしてその間にあるものを問い直す、というのが「新しい公共空間」のデザインの出発点だ。

一方で、Greenzの小野さんは、メディア記事に取り上げた事例をどんどん紹介してくれた。
そのなかで、「パブリックな空間って、曖昧だから入っていくのにおびえる」という言葉があった。
誰でも利用できる空間は、誰がいるかよくわからない空間でもあり、どう振る舞えばいいのかも定義されていないので入り込みにくい、という。

これは、先に見たプライベートとパブリックの壁が厚い、というところから来るものだと思う。
その間のゆるやかな領域(縁側)のようなものを、どのように作っていくか、そして維持していくか、というのが今後のパブリックデザインの課題となる。

Greenzの事例紹介でとりわけ面白かったのが、「東京シャボン玉倶楽部」だった。

Greenzより

Greenzより

タバコは体に良くない、という認識はおそらく誰もが持っているけれど、喫煙者の方が、喫煙所で、コミュニケーションの場を形成していて、それがきっかけで生まれるアイデアや関係性、そういったものがときに大切になることもある。
でも、やっぱり非喫煙者もそういうのがしたい、喫煙者だけずるい、みたいなところはあるわけで。
そこで、「タバコの代わりにシャボン玉のあるライフスタイルを提案する」という、いたってシンプルな活動目的をもって、それを続けている団体が「東京シャボン玉倶楽部」だ。
喫煙所ならぬ「シャボンダマステーション」を各地に設置してもらい、シャボン玉スティックをもって、自由に集まれる空間を作る。
そうすることで、ゆるい関係性を持たせた場を作り上げているのだという。

とても面白い取り組みだけど、団体としては積極的に活動したり、マネタイズしたりすることはしないのだ、という。
「がんばらない、だから壊れない」という言葉で、それを表現していた。シャボン玉を壊さず飛ばすには、強く吹きすぎないのがコツなのだ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「がんばらない、だから壊れない」という言葉はとても響くものがあった。

小野さんの紹介した事例も、馬場さんの著書にある事例も、どれも本当に頑張って、先進的な取り組みを実践しているものだと思う。
でも個人的には、そんなにがんばらなくても、そこにいる人たちだけで長くやっていけるような、そんな空間を当事者性を持って作っていけるのがいいなぁ、と思っている。

自治会、町内会なんていうような昔からある組織もそうで、本当にいろんな人たちが「そこに住んでいる」という一点でのみつながっていて、
そのなかで、頑張って何かをやっていく、のはとても難しい。

でも、もう少しゆるく楽に考えて、これだけは守っていきましょうよ、ということだったり、お金をかけなくてもたとえばシャボン玉一つで雰囲気が変わることだったり、
かたくなにプライベートを守る人のガードを下げていくことはいろいろできるんじゃないだろうか。

専門性の高い人がやったほうがうまくいく、東京のやり方を地方に持ち帰る、といったようなやり方で、地域に新しいコミュニティを作っていくことは、
一時的には効果があるかもしれないけれど、結局「だれでもできるやり方」を仕組化しないことには、息の長い取り組みができないと思っている。

それは、既存の組織を否定することではなくて、既存の組織の土壌の上に新たな価値をつけていく作業だと思う。
地道にそうした作業を続けていくことが、所有から共有への流れをスムーズにさせていくのだと思う。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

05/13/2015
by lazy_planet
0 comments

『森、道、市場 2015』行ってきました

タイトル通りですが、蒲郡のラグーナビーチで開催された「森、道、市場」に行ってきました。

毎回、低価格のチケットながら、良質で豪華なアーティストを揃えてくるイベントで、
一方で、その手作り感ゆえに、渋滞やトイレ、ゴミ、開催場所の是非等でトラブルも多かったりする企画ですが、
個人的には応援していきたいイベントの一つです。

森、道、市場

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

今回は、場所もよく、広大な敷地を十分に余裕をもって使うことができていて、
雑貨や飲食のブースも豊富で、全国から面白い店が集まっていて、とても楽しかったです。

海辺のフェスだったので、子どもが海で遊ぶのをとても楽しんでくれたのもよかった。
おとなも目いっぱいたのしみましたが、海はやっぱりいいなぁ。
内海で遠浅の浜辺なので、波も少なく子どもが遊ぶにも安全でした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

これだけ大規模なイベントになってくると、雰囲気として、「ゆるさ」を出すのが難しいなぁ、というところを感じました。
一昨年の秋に台風で中止になったとき、有志で岡崎の広場で小さな「人、道、市場」という代替イベントが行われましたが、そのとき感じた「ゆるくてやさしい」雰囲気はなかなか今回感じられませんでした。

PA276162-e1383579608685

いろいろなイベントに行って、自分でもそういった手作りのイベントの主催側になったことがあると、
「みんなが集まる場所で、みんなが楽しめるようルールに縛られないで、いかにマナーよく終えられるか」という難しい問題を考えてしまいます。

いろんな目的をもった参加者全員が、同一の共通認識をもってイベントに臨むことは難しいけれど、
何かしらの「ガイドライン」を明文化して、それが「ゆるさ」だったり「エコ」だったり、何か一つあると、
また違ってくるのかもしれない。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

それでも、子連れの参加者も多く、アーティスト側も子連れで演奏する姿があったりと、これだけ大きなイベントにもかかわらず、子どもにも優しい、楽しいイベントだったなぁ、と思います。

青葉市子、predawn、スチャダラパー、クラムボン、t.v.not.january、タテタカコ、ハンバートハンバート、Polaris・・

全部見切れなかったけど、本当に素晴らしいメンバーが集まって、音楽っていいなぁ、と純粋な気持ちで感じられるライブを演じてくれました。

イベント関係者の皆様、お疲れ様でした。本当にありがとうございます。

あじさい

05/06/2015
by lazy_planet
0 comments

『カタツムリが食べる音』病んで初めて見えるゆっくりとした世界

カタツムリが食べる音

カタツムリが食べる音

『カタツムリが食べる音』(エリザベス・トーヴァ・ベイリー著/高見浩訳)という本を読んだ。

感染症によって、重度の神経障害を負い寝たきりになってしまった著者が、病床で友人から譲り受けたカタツムリを観察することから、本書は始まる。
病気に体の多くの機能を奪われてしまった代わりに、それでも生きる膨大な時間を余らせてしまった著者が、この小さな生き物の様子を眺め、共鳴し、省察することで、本書の奥深い世界が展開され、それに圧倒されに引き込まれてしまった。

わたしはある病気にかかった結果、すべての動きが緩慢になりました。同じ人間仲間の活動のリズムにはついていけなくなり、カタツムリの暮らしのリズムにずっと接近したのです。それはとても心休まることでした。p.5

カタツムリの食べるあの小さな音を聞くうちに、わたしの胸には、同じ時間、同じ場所で、あの子とわたしはともに生きているんだ、という仲間意識がはっきり芽生えた。p.25

病気は人を孤立させる。孤立した人間は見えなくなる。そして見えなくなった人間は忘れられるのだ。でも、カタツムリは……わたしの精神が蒸発するのを防いでくれた。わたしとカタツムリはわたしたちだけの社会を築いてきたのであり、それが孤立を防いでくれた。p.131

あの子はわたしを楽しませ、学ばせてくれた。音もなくすべるように進む姿は見るからに美しく、わたしが暗黒の時間をかいくぐって、人類の世界の向こうにある世界に踏み込む導き手になってくれた。p.156

ちょうど、私が心療内科で「うつ」と診断され、人の生きる時間、生活の時間についていけなくなったとき、本当にこの本に救われた。
私は、仕事の世界でのスピードにはついていけず、違う時間を求めていた。その探し求めていた時間は、カタツムリのそれと、とても近いのかもしれない。

私たちがせわしなく日常生活を生き急いでいるなかでも、カタツムリは、彼の生活の中で、彼のリズムに従って、その時間を生きている。
私たちが住んでいる同じ世界のなかで、そうやって生きている生物もいるのだ。

自分が周りの人たちのペースについていけなくなったり、日々の流れるスピードに疲れてしまったとき、ふと違うペースで生きる生物の存在を思い浮かべてみる。
それはカタツムリでも、クジラでも、あるいはまた雑草でもいいのかもしれない。
そうした存在に救われることもあり、少し心が軽くなるだけでもいい。

この本は、そんなことを教えてくれた。

カタツムリが食べる音