Lazy-planet

LIFE | yuki ota

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

うつ病の境界と甘えと

| 0件のコメント

うつ病って診断されて、薬での処方と通院の治療を続けていて、一年以上も経つのに、自分では理解できず、判断できないことがある。

今も僕は「病気」の状態なんだろうか?

 

妻は、論理的に答える。

病気か病気じゃないか、の2択ではなく、その境界を行ったり来たりしていて、普通の人に気分の波があるように、その波が僕にもある。

それは、単純に二分化できるものではなく、いかに精神状態を自分でコントロールできるか、というものによるので、まだコントロールできている、という状態ではない、と。

 

ものの本にもそんなことが書かれているので、大体において正しいのだと思う。

 

それでも、しっくりこないのは、いつこの「治療」が終わるのか、終わりの見えない漠然とした不安と、そうした状態にも関わらず、娯楽も含めてさまざまな活動がある程度できているうしろめたさ、みたいなものをずっと感じているからだ。

いろんなものが楽しめるようになって、また人とも話せるようになって。

調子が上がってきて、就職もできるだろうと思って試みた結果、半月足らずで辞めてしまったことも、その思考を妨げる一つの要因になっている。

 

自分ではコントロールできている、というつもりでいたのに、いざ他人と向き合って立場や価値観の違う人とのコミュニケーションを取ると、以前はできていたはずのことが全くできていないことに嘆いてしまう。

同質性をもった集団のなかでは楽しんで過ごすことができるのに、異質な人と向き合い、仕事をするなかで、対立した意見に対しての抵抗力がひどく弱く、一挙手一投足すべて監視されているような気持になり一日の終わりには立っていられないくらいに疲労し、朝起きることができなくなる。

偶然、運悪く本当に意地の悪い人たちに囲まれてしまっただけかもしれない。でも、そうした人と一緒に働くことができない、ということが分かったとき、とてもショックを受けた。

 

これは、「甘え」か「性格」の問題なんだろうか。一旦クリアした問題に一周回ってぶつかってしまっている。

もちろんそれまで長い間働いてきて甘えの許されない場面も乗り越えてきたのに、発症してしまった「うつ病」はそうした性質のものじゃない、と理解しているだけれど、長い間、治療を続け、病気を続ける中で、初めは「病気」だ、と思っていたことがだんだん不明瞭になってしまっている。

 

治療を続けていて、治すつもりはあるのか?という話かもしれない。

治すための努力をするべきなのか、

そもそも努力するものなのか、

できるものなのか。

 

「自分なりの上手な病気との付き合い方を見つけなさい」という模範解答は、頭では分かっていても、生活する上においてあまりにも実感がなく、自分ではいま「上手に付き合っています」といえる状態なのかどうか判断がつかない。

もし、客観的に判断できる指標があるなら教えてほしい。

 

いま、一旦「会社での仕事」からは距離を置くことで、気持ちは安定している。

「主夫」としての役割を与えられることで、自分には価値がない、という気持ちも薄らいだ。

おかげで、自分の病気を隠さず、向き合うこともできた。

 

それでも、この先どうするんだろう?という漠然とした不安。そういった不安と誰もが対峙しながら生きていく世の中なのかもしれない。

自分だけが思っていることじゃないのだと思う。

みんな、どこか病んでいるけれど、それを隠しながら懸命に生きているような気がする。そうしないと生きられないから。

病気のお墨付きをもらった僕は、いつまでそれに甘えているんだろう。そんな、うしろめたさから逃れられずにいる。

 

「僕の病気はまだ治ってないのかな」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA


Facebook comments:

コメントを残す

必須欄は * がついています