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LIFE | yuki ota

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『原発労働者』弱者の声を掬い取る表現者・寺尾紗穂

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表現者としての寺尾紗穂さんが好きだ。

たぶん、渋谷の7thFloorあたりで、寺尾紗穂さんのライブを聴いたのがはじめだったと思う。その後、何度もライブには足を運んでいる。

ちょうど、「アジアの汗」を歌いだしたころだと思う。ちょっと変わった人だな、と思った。エコやサブカル、社会への反発を歌うようなロックなアーティストはこれまでも多くいたように思う。

でも、彼女のこの歌は、実際に会った人の声をくみ取って、彼女なりの伝え方(歌とピアノ)で伝えようとした、そんな歌だった。

地方の都市から東京に降り立ったとき、高くそびえたつ大きなビルに圧倒されがちだが、この街にはあふれるほどにあまりある人の群れがいて、その巨大なビルは、決して長い歴史や今現在の暮らしの中で光のあてられることのない大勢の下働きの労働者によって作られている。

このときから、一貫して彼女の姿勢、出発点は変わらない。

原発労働者 (講談社現代新書)

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平時の「原発労働者」に焦点を当てたこの新書も、対象を原発としているものの、「土方さん」を主人公としたノンフィクションの物語である。

純粋に知らないから、知りたい。もっと知ってほしいから、伝える。そうした素直な気持ちでいるからこそ、こうした声を掬い取れるのかもしれない。

原発で働いている人のことを私は知らない。

「土方さん」の仕事の闇は、原発に限ったことではない。
下請け構造が多層化している分野においては、どこも労働者の待遇はひどいのかもしれない。

そうした危険を理解しながらも、働かざるをえない人がいる。
貧しさ、人間関係、出自、家庭環境、障害、さまざまな背景とその人の仕事は結び付けられ、縛られている。

巨大なエネルギーを得るために、失われているものは何か。
寺尾紗穂さんは、その失われたもの、失われつつあるものに光を当てている。

多くの人は、議論を避ける、目を背けるだろう。中立的な冷静な大人のふりをして、「とりあえず、現状維持で徐々に代替エネルギーに減らしていこうよ、そうした技術の進歩を待とう。」と、涼しい部屋のなかで語る。そうしているまさにその瞬間にも、原発労働者は汗を流し、被曝し、働いている。

東日本大震災の事故のことで、一時的に原発の実態については注目されたものの、記憶の風化とともに確実にそれらは薄れてきている。

寺尾さん一人の力で、本書の内容だけで、彼ら労働者を救うことはできない。
歌をうたう彼女は、それだけでは救えないものがある、多くの状況に直面しているはずだ。
表現者としての彼女の伝えることは、こうした弱者の存在が支えているものの大きさであり、こうした弱者の存在そのものの大きさである。

いつも使っている電気、インフラ。それらはもっとも身近なものであるはずなのに、とても遠くのことに感じられてしまう。

「当事者性」を感じること、もっと弱者の声を掬い取り、彼らに寄り添い、自分のこととして考えること。その大切さを、静かに訴えているように思う。

 


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