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LIFE | yuki ota

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大地の芸術祭と民俗泊物館。レポートの続き。

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民泊レポート 8月25日-26日 昭和町

新潟県十日町市で行われている、大地の芸術祭・越後妻有トリエンナーレ2015、その作品の一つでもある民俗泊物館

ここの企画で、研究員として地元の方のお宅に泊めてもらい、いろんな話を伺い、町のお祭りに参加してきました。

 

初めて来た町で、初めて会った人たちと、初めて聞く民謡を踊る。とても不思議で面白い体験でした。

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まちの至るところ、山間の集落のあちこちに点在するアートが、自然とそこを訪れる町の人や住人との出会い、コミュニケーションをもたらしているようで、研究員としてお世話になったところ以外でも、不思議と会話が生まれていくのは、とても面白いものでした。

民泊で得られた体験は、レポートとして長々とまとめましたが、アートがその地域のなかでどのように受け止められているか?というのは、今回の旅のテーマでもありました。

1日目~2日目のことは、レポートにある通りですが、2日目以降にもアートと地域について感じるところはたくさんありました。

レポートの続き 松代・山ノ家

 

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トリエンナーレを始めて、約10年が過ぎ、各地でもこぞって地域での芸術祭(ビエンナーレやトリエンナーレ)が開かれるようになり、ようやくその先駆けともいえる大地の芸術祭では、町の人もそれらを受け入れ始めているようです。市内の中心街活性化チームとして動いているスタッフの一人は、芸術祭の拠点でもあるキナーレという施設で案内を行っており、芸術祭そのものにも関心が高く、民泊先のお世話になった方も芸術祭を肯定的にとらえていました。

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しかし、それはあくまで、「芸術祭」に関わる部分のみで、日常の生活にまではその影響が及んでいるわけでもないように感じられました。もともと冬になると全国有数の豪雪地帯で、1階部分は高床式にしている家が多数ある地域です。芸術祭の終わった雪深い季節にどれだけの人がここに集まるか。そしてその豪雪体験を共有することが、ここの日常でもあり、隣近所で助け合って生活をともにしていく、という要の部分でもあるような気がしています。民泊先でも、冬にも来てねーと軽く言われたものの、その壁は高く、困難なものだとなんとなく察しています。

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山ノ家

二日目の夜に泊まった「山ノ家」colocalなどの旅メディア等でも広く認知され、東京などの都市部からの訪問客も集めているものの、地元の人との交流はまだまだ少ないようでした。

実際に、芸術祭開催期間中以外では、客足も全然途絶えてしまい、地元の人に入ってもらうには、どこかヨソモノ感が漂う空間になってしまっているようです。また、冬の期間には、殆ど店自体も開いていないとのことです。厳しい冬に、東京に戻ることもできるのが、都市と地方を行き来できる境界に生きる人の利点でもあり、それ自体は否定されるものではないのですが、一方でまだまだ浮いた感じの「常設アート」になってしまっているようにも感じられました。

地元のお祭りが開かれていたその夜も、表通りの人通りはわずかで、たしかに集落の人口の少ない地域ですが、それ以上に宿泊客として利用している僕にもどこか冷たい印象が感じられたのは、一日目に民泊という形で地元の人に直に接触していたからかもしれません。

今年でオープンして3年目というのに、スタッフも基本的にカフェの中での仕事に追われ、お祭りの概要を把握していなかったようで、今年はようやく「茶もっこ」という形で外にかき氷屋を出したりして、わずかながらに参加しているような形を取っていました。

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多拠点居住を掲げ、都市部の人の第二の故郷としてのオープンスペースを作り上げている「山ノ家」はたしかに、地元の人から見れば異質なものなのかもしれません。一方で、質の高い空間を作り上げ、一定の客層の琴線に触れる魅力を持つ場所であるのは確かです。地元へ溶け込むことと、特別感を出すことのバランスを保ちつつ、息の長い運営をしていくのは、想像以上に苦労があることと思います。

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今回、アート参加者が、松代のお祭りのなかでパフォーマンスを行う姿も見られました。少し奇異の目で見られていましたが、不思議となじんでいて楽しそうでした。一時的な滞在者でもあるアーティストが住人たちのもともとの日常の中に入りこんでいくには、時間と相応のエネルギーを要するものだと思いますが、その面白さを体験し、伝え、また訪れた人に感じてもらう、そうしたことを続けていければ、アートが地域にもたらす良い効用として、古くからの住人も新しい住人も変わっていくのではないかという可能性もまた感じました。

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最後に、レポートのまとめの文章を再掲します。今回、偶然にも市街地のお宅に泊めてもらいましたが、僕が初めて体験した地域の芸術祭もまた、甲府の街中で行われたものでした。そのとき感じた面白さの根源をもっともっと知りたい、という気持ちは今も続いています。

 

まとめ

大地の芸術祭の行われているこの十日町市にとって、アートは日常のなかに置かれた非日常なのかもしれない。あるいはそれが徐々に新しい日常になりつつあるのかもしれない。

一方で、ここを訪れる私たちのような外からの人間は、アートもこの場所の自然も、暮らしも全てが非日常として体験される。山梨で「こうふのまちの芸術祭」を主催する五味文子氏は“誰かの日常は別の誰かにとって奇跡みたいだ”(民藝運動としてのアートフェスティバル/「アサヒビールメセナvol.27」2010)と述べる。

たぶんそれは正しくて、でも私たちが日々経験している私たちの日常が、他の誰かにとって奇跡みたいな非日常である、と気づくのは難しい。織物を学んだ彼女の言葉は、“まちという経糸に、アーティストという緯糸を織り込むことで、でき上がる可能性は無限大だ。そこで暮らす人間にとってはあたりまえのことも、外から来たアーティストにとっては、意外な面白みであったりする。”と続く。
アーティストに限らず、あたりまえの日常の中にある面白さは、生活の外から来た人全員が共通に感じることができるものです。

この面白さは、普段なんでもないと思っているようなところに転がっていて、なんでもない会話のなかから発見されるものでもあるのだと思います。「なんでこんなとこまで来たの?」とさんざん訝しがられたけど、こういうのが面白くて大好きなんだよなぁ、と思うからなんです。

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自分のところのお祭りで疲れ切って、逃げるようにやってきたけれど、またお祭りの楽しさを教えてもらいました。ありがとうございました。


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