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LIFE | yuki ota

子どもと私

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子どもを育てていると、子どものころの記憶が自然と浮かんでくることがある。

たいていは、弱くて、情けない、醜い自分の姿がそこにあって、とても恥ずかしい気持ちになる。

 

保育園のとき、隣のクラスの女の先生が怖くて、廊下でばったり会っただけで泣いてしまっていた。

保育園のプールが大嫌いだった。

消毒槽の冷たさも、シャワーの冷たさも嫌だったし、水が顔にかかるのも嫌で、プールのへりに皆で座ってバタ足を練習するとき、顔を背けていた。

自分で気づかないうちに、保育園のおもちゃがカバンに入っていて、家に持って帰ってしまったらしく、とても怒られた。今でも、誰かに入れられたんじゃないか、と思っている。

同じように、小学1年生のとき、自分で気づかないうちに、友達の腕を折ってしまったらしい。それも、そいつが勝手に転んだだけなんじゃないか、と思っている。

放課後、高学年の誰かが倒れて、救急車を呼んだらしい、と聞いて友達数人と残っていた。いざ、その場になって野次馬をしていたら、次の日クラスで名指しで怒られた。

 

苦手な食べ物が多かった。保育園で出てきたオカラやくわいが食べられなくて泣いていた。

小学校でもナスが食べられず、昼休み中、遊ぶこともできず、泣きながら食べていた。

ソフト麺が苦手で、いつも残していた。

 

視力が悪くなったことを、親にいうのがとても怖かった。ゲームばかりしていて、目が悪くなったと思われるのは当然だった。

案の定、とても怒られて、メガネを買いに行ったが、今度はメガネを学校でかけるのがとても嫌だった。

親のセンスで選んだダサいメガネだったけど、とても高額なものだったから、そんなことはとても言えなかったし、皆の前で普段と違う格好をする、こと自体に恥ずかしさを感じていた。

見かねた親が、先生にそのことを告げ、ある朝礼の時に、メガネをかけて皆の前に立たされた。別におかしくないでしょう!と先生に言われながら、とても悔しくなって泣いていた。

 

漢字や計算の練習帳をもらってすぐにどこかに隠して無くしてしまっていた。

おかげで、人より半年以上遅れて掛け算・割り算を覚えた記憶がある。

ろくに学びもしていなかったのに、友達とプリントを交換して丸つけをしていたときに、でたらめな答えに「バーカ」と書いて、先生にあとでひどく怒られた。

勉強もできなかったし、スポーツはもっとできなかった。

スイミングを習っている兄と姉に、とても怖いコーチがいて、足のつかないプールに放り出される、と脅されて真に受けて、絶対やらないと言い張った。

泳ぎは今でも苦手だし、そのほかのスポーツもいろんな理由で避けてきた。

マラソンだけは唯一好きだった。苦しいのは自分だけで、自分が苦しめば苦しむほど、周りの人より速くゴールできたから。

 

日常生活のあれこれも、全然できていない子だった。

笑いすぎると尿を漏らし、必死で乾かしたりしてごまかしていた。鼻水をよく垂らしていて、袖や服で拭いていて汚らしかった。

顔を洗うのもおっくうだし、歯磨きもしなかった。虫歯になっても、歯医者には行きたくなかった。

注射も大嫌いでなんとかその場を逃れようと無理やり熱を高くしていた。

 

 

もっともっと情けないエピソードが、小学校以前の記憶だけでもまだいっぱいある。ここには書ききれない。

それらのエピソードにまつわる性格をそのまま引きずって大人になってしまった自分がいる。

とても弱くて情けなくて周りの人に嫌われたくなくて、怒られたくなくて、それでいい子にしようとしているだけで、倫理観や責任に欠けた自分がいる。

 

大人になって、そういう弱さを見せない、克服する、補う、正す、そういう作業を少しずつ重ねていっていたはずなのに、根っこの部分で、「どうしようもない自分」を諦めている気がする。

人間にはそういう弱さがある。正論ばかりでは心が折れる。感情的な思考を大切にしたい。

こうした自分の考えの中に、自分を甘やかしたくてしょうがない気持ちが多分に含まれている。

散々甘やかされてきた自分は、大人になった今でも甘やかされていて、しかし今子どもと向き合っている。

子どもが妻や私に怒られて泣いている姿を見ると、過去の自分の姿を思い返してしまう。

そのことが耐えがたく、子どもに対して怒ることを避けているし、怒られる場面でも逃げてしまっている。

今も、自分の弱いところは全く変わっていない。

 

 

子どもの素直さが好きだ。

食べたくないものが食卓にあると、眠くなるふりをしたり、おなか痛いと言ったりする。

片づけをする、と宣言した数秒後に見つけたおもちゃが楽しくなって遊んでいる。

そうした素直さがとてもかわいらしい。

 

今、向き合っている自分の子どもは、自分に比べて信じられないくらい清々しく成長している。

どうか、自分のようにならないで生きてほしい、と切に願っている。

 


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